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インターネットとアクアリウム――「ネット時代のコペルニクス」を読んで
- 2013/02/22(Fri) -
ウチの子供の教科書に「ネット時代のコペルニクス」という論説文が載っていました。
最初は「欠点の多い文章だな。」と思っていたのですが、
アクアリウムと重ね合わせると、俄然、文章が輝いてきました。
全部は発表できませんが、概要だけ御紹介いたします。


ネット時代のコペルニクス――知識とは何か

① 文章作成にインターネットを参照する人が激増しているが、レポート作成や報道での誤報など、問題も起こっ
 ている。

② 手軽なインターネット検索を好ましく思わない人は、「レポート作成時のネット利用を禁止すべきだ。」と考
 えるかもしれない。

③ 他方、ネット検索と図書館の調べ物と、どこが違うのか。同じではないか。

④ しかし、知識の在り方としてみた場合、この二つの方法には、大きな違いがある。

⑤ まず、図書館の本の場合、責任の所在がはっきりしている。

⑥ これに対してインターネットでは、知識の作り手が匿名化されがちである。図書館の本が 「誰かの知識」で
 あるのに対し、ネットでは「みんなの知識」となりやすい。

⑦ 例えば、インターネット上の百科事典では、著名な大学者の説明文に、中学生が上書き出来る。

⑧ 今や知識は権威主義から解放され、誰もが自由に参加して書き換えていくことができる。しかし、知識の責任
 の所在が曖昧にもなる。

⑨ もう一つ、図書館の本とインターネットの間には、知識の体系性という観点からの違いもある。

⑩ 図書館の百科事典は、からまりあう概念の関係を構造的に把握できるように作られている。

⑪ ところが、インターネットでは、探している情報に、私たちを一気に連れていく。これは、森の中でどの木
 がりんごの木で、その実がどの枝についているのか知らなくても、一瞬でりんごの実が手に入る魔法のような
 ものである。実に便利だが、自分がどんな森を歩いているのかを、最後まで知らないままである。人々はネッ
 ト検索で瞬時にして次々に必要な情報を手に入れることで、緩やかに形成される体系としての知識を見失って
 いるのかもしれない。

⑫ こう考えてくると、インターネットには限界があるように思えてくる。それでは私たちは、インターネットを
 やめて、本と図書館の世界に戻ればいいのだろうか。

⑬ それは違う。現代は、万人が発信者となれる可能性が、大きく広がっている時代である。ネット情報を拒否
 するだけでは何も始まらない。

⑭ しかし、情報の発信者と、知識の作り手は同じではない。

⑮ コペルニクスは、活版印刷術の発明によって、多数の印刷本を手に入れた。それまでの天文学者よりもずっ
 と多くの観測記録を集め、新しい理解の枠組みを提案した。

⑯ 私たちは今、コペルニクスと似たような時代を生きている。かつては印刷本、今日ではインターネットで情
 報量が激増している。

⑰ だが、そのような時代だからこそ、情報をばらばらに消費するのではなく、それらを相互に結び付け、体系
 的な理解をしていくことが大切なのである。単に必要な情報を即座に取り出すだけでなく、過去の知識と対
 話し、新たな理解の枠組み作りをしていくことが、私たちの課題である。


さて、こんな私でも、「コケに悩む方を、何とかしてあげたい。」と思う時があります。
早くこっちの世界に来てくれれば、楽しく同じ趣味を語り合えるのに……、とよく思います。
しかし、いざ言葉にしてみると、これがなかなか伝わらない。

伝わらない理由があります。
コケに悩む方にとっては、「コケをやっつける方法」が知りたいのです。
「魚を減らす」なんてとんでもない、「コケをやっつける方法」が知りたいたいのです。
しかし、もっと体系的に問題をとらえ、コケを出さない方法を考えるべきなのです。
例えば、水量・ろ過能力・水草の種類と量・魚の量(餌・糞)・二酸化炭素・照明・肥料・
コケ取り生物の量と種類・灌水の頻度など……
(体系的な知識……になりましたか?)でコケの量が決まります。

くれぐれも、「水換え不要」の文字に踊らされて、間違った「りんごの実」を手にしないように……。


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